「親ガチャ」失敗?七重苦だった自分が悟った、たったひとつの挽回方法

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こんにちはパソコンサポート仙台宮城・店長の平山です。

自分の生まれた環境を「親ガチャ」と表現するのがネットで流行っているようですので、便乗して持論を述べます。

主に「親次第で人生が左右されてしまう!」という嘆きの言葉として、「親ガチャ」という単語が流行しているようです。

今回の記事で私としては、IT関連サービス店として「ネットの流行語にも敏感ですよ」とアピールしつつ、プライベート情報を晒す事でアクセスアップを狙っていきたいと思います(どれだけ効果あるのかな?)。また、「親ガチャ」と関連すると思われる、若者向けのゲーム用語の解説も織り交ぜて行きますので、「そっち方面はよくわからない」というお父さんお母さんの参考にもなれば良いと思います。

「ガチャ」についての解説
元々は「ガチャガチャ(ガシャガシャ、カプセルトイ等)」と呼ばれる自動玩具販売機の略称です。それを転じてスマートフォン等で遊べる「ソーシャルゲーム(ソシャゲ)」というタイプのゲーム内での、くじ引きで仲間キャラクターや武器などを得るシステムを「ガチャ」と呼び、昨今ではこちらが一般的な使われ方になります。
ほとんどのソシャゲでゲーム開始時にこの「ガチャ」を行い、その結果がゲームを進める上での難易度を左右するため、人生のスタート時における「親ガチャ」という例えが若者には非常に分かりやすいのかもしれません。

なお、このネタでの取材や講師のご依頼も歓迎ですので、ご興味のあるマスコミ関係の方、セミナー主催者の方などは、お気軽にお問合せ下さい。

一般的には尊重すべき「親」を、お金で取引できる「モノ」扱いしているため、この言葉自体に不快感や抵抗感を覚える方も多いのではないでしょうか。しかし今回は、とりあえず言葉のイメージは置いておいて、親から受けた人生への影響について語りたいと思います。

リセマラ不能!親ガチャ大爆死の自分が背負った七重苦

リセマラ(リセットマラソン)とは
ゲーム開始時の「ガチャ」で良い結果が得られるまで、該当のゲームを初めから何度もリセットしてやり直し続ける行為のこと。ソシャゲプレイヤーには毎度おなじみの行為ですが、現実の人生は普通リセットできません。

爆死とは
ガチャで何度も外れる、本当のお金を課金して有料ガチャを行ったのに当たらないなど、ガチャで「最悪の結果」になってしまった際に使われる言い回しです。お子さんが「爆死した!」と言い出したら、「いくら使ったの?」と聞くといいかもしれません。

さて、さっそく私自身の生まれや幼少時の家庭環境について語ります。が、あまり詳細に述べると気が滅入ると思われるので、箇条書きで簡単にまとめます。

  1. 先天性・遺伝性の心臓病(川崎病)。体が弱く1歳時から何度も入院。
  2. それが原因で母親が宗教(某学会)にハマり、幼少時に活動を強要される。
  3. 両親は不倫による内縁関係。未婚のため夫婦別姓の特殊家庭。
  4. それらが理由と思われる、一部の親族や周囲からの白眼視。
  5. 母親の過干渉。交友関係、服装、趣味などの制限(本や服や教科書などを捨てられる)。
  6. 親からの折檻や個性否定によって、幼少期の性格が内向的かつ自罰的に。
  7. 父親の事業が失敗、貧乏な思春期。進学費用も無い。

こうして並べてみると、なかなか酷い環境だった気がします。

「気がする」と控えめな言い方になってしまうのにも理由がありまして、こうして振り返れば明らかに「毒親だったな」「ひどい環境だったな」と理解は出来るのですが、命の危険までは無かったので「自分などはマシな方だ」「みんな何かしら悩みはある」「普通の範疇」と当時は思っていたし、何なら今でも他人にはそう言ってしまうんですね。

まあ後ろ向きになるよりは良いのでしょうが、恐らくその考えかた自体が、自分の心を守るための「正常性バイアス」によるものなのだと思います。自分を客観視するのは本当に難しいもので「うちはどう考えても普通ではなかった、異常だった」と素直に認められるようになったのは、大人になってしばらく経ってからです。

正常性バイアスとは(Wikipedeiaより引用)
認知バイアスの一種。社会心理学、災害心理学などで使用されている心理学用語で、自分にとって都合の悪い情報を無視したり過小評価したりするという認知の特性のこと

一見すると「良い所のボンボン」外から実態を把握することは難しい

こんな生まれ育ちの自分ですが、周囲の大人から環境を問題視されることはありませんでした。はたから見ると、何の問題もない家庭にしか思えないよう、両親は全力で取り繕っていましたから、ムリもありません。

  • 両親ともに外見と人当たりはとても良かった。
  • 小学生まではお金持ち家庭だったので、周りにもずっとそう思われていた。
  • 困窮しても見栄を張って(借金で)大きい家に住み続け、車をしょっちゅう替えた。
  • 私自身は勉強は出来て、ワガママを言わず大人に従順なので、学校で優等生扱いされていた。

自分の経験から、家庭の問題を外から把握し何らかの形で助けるということは大変難しいだろうなと感じます。結局の所、家庭外の他者が助けられる例は全体のほんの一部なんだろうな、とTVやネットで虐待のニュースを見るたびに、考えてしまいます。結局は、自分がそうだったように、助けを待つよりも自分で自分を助けるしか無い子どもが多いのではないでしょうか。

自分についての「親ガチャ」自己評価

結論として、自分の出自については「悪い面が強かった(親ガチャ失敗)であったが、まあまあ利用できる面、プラスになる面もあったから、なんとかなった」と思っています。ソシャゲの用語を使って言えば、この国の基準では「SSR」には程遠く「N」とか「C」とか最低ランクに近いけれど、使いかた次第ではなんとか人生をやっていけるレベルだった、と考えています。

有名なスヌーピーの名言通り、利用できるものは利用し、持てる範囲でベストを尽くすしか無いんですよね。

漫画「ピーナッツ」の有名キャラクター・スヌーピーの名言。
「配られたカードで勝負するっきゃないのさ…それがどういう意味であれ。」

「ガチャ」の当たりとハズレについて
当たりの仲間や武器は「レア」や「SSR」、ハズレの場合は「ノーマル(N)」や「コモン(C)」(どちらも「普通」の意味。ゲーム提供会社は販売したものに対して「劣ったもの」と取れる単語は使わない為)と呼ばれます。
とはいえ、ハズレの「N」や「C」でも、捨てるよりは何らかの使いみちはある(使いかた次第)、という設計のゲームも多いです。

その手札で、なんとか最終的にはそこそこ満足する生活を手に入れた

さて、そんな親ガチャ結果で、その後の私のリアル人生ゲームがどうなったかといいますと、まあまあ悪くないです。

  • 成績は良かったので、バイトや奨学金も使って自力で大学まで進学した
  • 学科やサークルで起業の方法を学び、バイトや演劇部で対人スキルを身につけた
  • 何度も会社やお店を作った、就職した時は役員にもなった
  • 立派な家族が出来た(妻と子供二人)
  • 震災やコロナ禍で移住しても平気な技能と自信(何度も移住して全てを捨てても再起・再出店してきた)

結論を言ってしまえば、現代の日本で這い上がるには、とにかく勉強をすることですね。これは、幼少期に苦労してから成功した人々の多くが言っている事で、私自身の経験に照らしても、疑いようのない事実だと思います。

そして我が家庭、我が両親の「良かった面」は、子どもの成績が良い事自体は喜んでいて、勉強の邪魔はしなかったことです。子が成功したり、自分以上の学歴を身につけることを嫌うタイプの毒親ではなかったのが、幸いでした。むしろ、よく他人に見栄をはったり、自慢のタネにする為に、息子の成績票を利用していました。自慢された方はさぞ感じが悪かったことと思いますが、それでも、子どもながらに「褒められる」ことは悪い気がしませんし、勉強する大きな原動力になったのは、私の未来にとってはプラスでした。

あとになって世間一般の常識を知ってから振り返って見れば、塾や予備校に行くお金は(子どもが希望しても)出さない、言うことを聞かないと教科書などを破くと脅す、実際に破く、教育に良くないと思った持ち物を勝手に捨てる、必要最低限の教材費以外のお小遣いはほとんど出さない、子どもが自分で選んだ参考書は買わせず、気まぐれで変に高い訪問販売の教材を使わせて感謝を強いる、大学の費用は結局自分持ち(バイトと奨学金)などなど、真の意味では勉学に協力的とは言い難い面が多々ありましたが、私が自分で良い結果を出す限りは、他の事柄(交友関係など)と違って、それほど積極的な妨害はありませんでした。振り返ってみれば、その一点こそが突破口になったんだと思います。

這い上がるには、理想どおりでなくとも腐らずキャリアを積み重ねること。人生はRTAではない。

RTAとは
リアルタイムアタック(Real Time Attack)の略で、ゲームのプレイスタイルの一種。もっとも効率的な道を探し、目的達成までの期間・時間を最小限にするよう最短距離を進む遊び方。ひとつでも手順などを間違えたら最初からやり直す場合が多い。

最近のゲームプレイヤーの風潮として「最初からもっとも効率の良い進み方」が好まれる傾向があります。ゲームをやりながら上手になれるよう練習したり失敗からの挽回を楽しむのではなく、ゲームを始める前にあらかじめネット上の攻略方法のまとめ記事を熟読したり、Youtubeで他人のプレイ録画動画を見てキャラクターの操り方の予習をしたりして、途中の経過で思い通りでない部分があれば、それ以上のプレイに価値なしと判断して、リセットして最初からやり直したりするわけです。先に述べたソシャゲの「リセマラ」という手段がまさにその思想に則った手法ですね。

あらかじめ物事に備える事は良いことですが、スタート時からゲームクリアに至るまで、ずっと100点満点の行動をなぞって何の傷も失敗も無し、というやり方が「前提」「当たり前」「普通」と思い込んでいるソシャゲリセマラ世代の人は、要注意です。少しでも他人と比べてマイナス点があれば、やる価値なし、終わりにしたほうがマシ、という短絡的な思考になっているかもしれません。
この「親ガチャ」の話題が流行りだしてから、大した苦労もしていないのに、ほんのちょっとの失点で「あーあ俺は親ガチャに失敗したわー」とヤケになって、自分から良い環境を放り投げてラクな方に堕ちようとする、言い訳にしているような言い分のネット書き込み等がちょくちょく見られます。

皆が皆その人の考えるような理想的なレールで走っているわけではありませんし、一度も失敗しない人なんてどんなプロでも経営者にも存在しません。どんな人でも、常に「前よりも成長した自分」を繰り返した結果があるだけです。その過程が短く済んだ、苦労せずに成功したように見える人もいるでしょうが、そこで終わりではなく、そこからまた一歩を踏み出して前に進み続けるのが人生です。結局リア充も、キョロ充も、陰キャも、みんなやること、やらなければならない事は同じです。ふてくされて自分自身を放棄しても、親は子の人生の最後までは責任を取ってくれません。毒親ならなおさらです。

  • どんな進路でも、結局は勉強することが最重要。知識を元に自分でベストやベターを選択出来ることが、人生に対して最大のパワーを持つ。
  • ふてくされて道を外れない。現状が100点満点でなくても、20点なら30点、30点超えたら40点を目指すしかない。最初から80点以上で無いからと不満を言って、自分から70点、60点と環境を下げて行く選択は、自分を幸せにはしてくれない。
  • 親がダメだからといって、自分までダメ人間になる意味はない。そうなったら親を責められない。
  • 自分の今までを否定しない。嫌な過去も経歴も黒歴史も、全てを利用する心意気が大事
  • 寄り道はしてもいい、後でそれも糧にすればいい。ただし、法を犯したり、体を欠損したりなど、不可逆的な、取り返しのつかない後退やマイナスは全力で避ける
  • 一発逆転は狙わない。ギャンブルではなく、昨日よりマシな自分、を1000回繰り返して上に進む

最速でなくても、最適でなくても、最高でなくとも、とにかく投げずに「今よりマシ」にするための事をすべきだと思います。

ぶっちゃけ「国ガチャ」SSRなのも良かった

これも私の持論ですが、現代の日本に生まれた次点で、国ガチャではSSR(最高水準)だと思っています。

  • 他国と比べても、命の危険が少ない。テロも内戦も徴兵もない。平均寿命世界一
  • 教育の機会を奪われる事はほとんどない。本人が望めば何とかなる可能性が高い。
  • 日本では(実質的に有利子の借金とはいえ)実績のない苦学生でも奨学金制度が使えて進学できる
  • 命に関わるレベルの毒親からは、保護してもらえる制度もある
  • (比較)アメリカは貧富の差がもっと激しい、医療と食生活に問題が多く命に関わる
  • (比較)成長激しい中国も農村部と都市部で差が激しい。庶民にとって規制や弾圧等の政治リスクが高い
  • (比較)福祉が充実しているイメージの北欧は超重税、順番待ち、移民の流入などで逆に社会的な不公平が存在する

※他国と比べての生存環境をプラス評価している、ということであって、特定の政党や政府の評価ではありませんので、誤解なきよう・・・

自分の子どもとの付き合い方

こんな私にも子どもがおります。親同様に生まれつき持病があり、本人にとって自分の力ではどうにもならないこと、思い通りにならないこと、他人と比べてマイナスだと感じる瞬間が多々あります。それで感情的になって怒ったり泣いたりしてしまうこともあります。

そんな時は、何について悩んでいるかとことん聞いた上で、本人が持っている「手札」を、良いものも悪いものも両方、親と子で確認するようにしています。現状の成績、健康状態、容姿で誰かに褒められたこと、得意なこと、苦手なこと、親がしてあげられる事、子どもが自分でできること、日本で用意されている社会上のシステム、教育上のシステム、学校でやっていることなど。

その中で、どれを伸ばしていきたいか、どれを無くしたいか話しあい、そのために親と子がそれぞれ何をすべきか、具体的に相談し、二人ないし家族全員で協力していると実感させ、安心するように努めています。そのやりかたが正しいかどうか、子どもが将来的にどう評価するかは、まだ分かりませんが、とにかく「自分がやって欲しかったこと」を、自分の子どもにはやってあげようと思います。

この記事は内容が重すぎるので、反響や自分の反省など次第では消す(非公開)場合があります。

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